【議員懲罰への対応】司法の判例変更


令和21125日 最高裁大法廷によって判例が変更された。

地方議会の懲罰を、司法で争うことができる

司法の限界を打ち破る判例となった。

 

裁判で訴えることができるのは

裁判所法31項 

裁判所は、日本国憲法に特別の定のある場合を除いて一切の法律上の争訟を裁判し、その他法律において特に定める権限を有する

 

地方議会の懲罰は、裁判所法31項のとおり裁判所が審判できる法律関係には当たらず司法の限界と位置付けられていた。

「部分社会の法理」=地方議会は自律的団体であり、一般市民法秩序と直接関係のない内部的な問題にとどまる限り審判の対象にならない。

 

部分社会の法理は ❶米内山事件で方向性がつくられ、➋村議会議員出席停止事件で、判例が確立し、➌岩沼市議会懲罰事件で判例変更。

 

最高裁大法廷判決昭和28116日米内山事件で多元的社会の内部規律の問題はその社会の特殊な法秩序に委ねられるべきで、司法の対象外である。という田中耕太郎裁判官の少数意見の考え方で地方議会、宗教団体、大学に司法は入らないという裁判所の解釈の主流ができてきた。

 

❶米内山事件は

青森県議会で除名処分を受けた米内山義一郎議員が、執行停止を求めて訴えを起こした。

青森地裁が除名処分取消請求の判決確定までの処分の効力の停止を認めた。

 

それに対し、内閣総理大臣が、行政事件訴訟特例法に基づき、異議を唱えた。

第一審は、内閣総理大臣の異議を不適法として、

執行停止を取り消さないことを決定した。

一審の判決に対し県議会が特別抗告した。

 

二審では

裁判所は、「行政事件訴訟特例法102項但書の内閣総理大臣の異議は、同項本文の裁判所の執行停止決定のなされる以前であることを要するものと解するを相当とする。」

との判決で

内閣総理大臣の異議申したてを義理立てた。

 

内閣総理大臣の異議は、県議会は規範のある自治で

「議員に対する懲罰の議決は、一般の行政庁による処分とは異り、全く議会内部の規律を維持するための自律作用として地方自治法上認められているものであるから、懲罰の議決の執行が裁判所の最終判決に基かないで、決定を以て停止されるということになれば、地方議会の自主的運営は著しく且つ不当に阻害される結果となり、延いては地方自治の本旨を害するに至る虞れなしとしない」

 

少数意見として田中耕太郎裁判官が追従するように

「多元的社会の内部規律の問題はその社会の特殊な法秩序に委ねられるべきで、司法の対象外であるという部分社会の法理という意見を出し、それが主流になる判例がつづいた。

 

・米内山事件で、司法は内閣総理大臣の意見に逆らうのは心苦しいので内閣総理大臣の異議申し立ては、裁判所の決定の前でなくては適法としないと苦しい判示をしたと解釈できる。

 

DV法制定前の「家庭のことに行政や警察は入るな」のDV夫の言い訳、児童虐待防止法制定前の「しつけの体罰は許される」の児童虐待をしてもよしとする親・大人の自己弁護と構造が同じ。

日本の司法は家父長制意識に土壌のなかにあった。と今更だが,感想。

 

➋村議会議員出席停止事件(昭和351019日)最高裁大法廷判決・・・が、地方議会の議決に司法は審判できないの判例として定着。

 

1957年(昭和32年)新潟県山北村村議会では村議会の中で合併問題を巡って2派に分かれて対立していた。

議会の3分の2以上の同意が必要な「村役場一条例の改正」に賛成する一方が、反対派の2議員を評決からはずしたい。反対派議員が2名いなければ条例成立に気づいた。

反対派議員2名に3日間の出席停止とする懲罰を決議し、出席停止の間に村役場一条例の改正を議決した。

出席停止された2名の議員がこの決議の無効の確認及び取消しを求める訴えを提起した。

 

裁判所は、「司法裁判権が、憲法又は他の法律によつてその権限に属するものとされているものの一切の法律上の争訟に及ぶことは、裁判所法3条の明定するところであるが、ここに一切の法律上の争訟とはあらゆる法律上の係争という意味ではない。」

「特質上司法裁判権の対象の外におくを相当とするものがある。」

「本件における出席停止の如き懲罰はまさにそれに該当するものと解するを相当とする」とした。

 

この判決文では除名は議員の身分喪失になる重大な問題で司法の対象になるが、戒告、出席停止、陳謝は司法の対象にはならないと司法の限界が定着した。

感想

議決を左右する出席停止の決議は、司法の対象にしない。陰謀による多数決議決について司法の対象にはしない。正義・不正義・公正性は判断しない・司法の対象外とした。

これで、地方議会の民主主義をストップさせることができる。

 

64年ぶりの解釈の変更

➌岩沼市議会の懲罰動議・・最高裁大法廷判決 ❶➋の判例変更

20169月議会、96日初日に岩倉市議会は、X議員に対し岩沼市議会の懲罰動議は、出席停止と、報酬削減を決議した。岩沼市議会では、X議員・A議員・B議員が会派を組んでいた。2016425日、A議員は海外での結婚式のため民生教育委員会を欠席した。そのことについて6月議会で懲罰動議がかけられA議員は議会で陳謝した。A議員の陳謝に対し、X議員は、A議員の陳謝は政治的妥協で不当な処罰であると感想を述べたことが懲罰の対象になった。これが、9月議会に継続し、X議員に対して、岩沼市議会は96日の初日に出席停止と報酬削減の懲罰の議決をした。X議員は議員であるにもかかわらず、9月議会は出席できず、議案の賛否の決定には参加できず、議案に対しての質疑、一般質問の権利を奪われた。

 

Xは出席停止処分と議員報酬の支払いを求めて提訴した。

 

一審は却下。二審は出席停止の懲罰でも議員報酬の支払いを求める訴えは適法とし、一審に審判の差し戻しをした。

岩沼市は判例違反を理由に上告受理の申し立てをした。

 

15人の大法廷で上告は棄却された。判例変更がされた。

判決文

判旨

1 

出席停止の懲罰を科された議員がその取り消しを求める訴えは、法令に基づく処分に基づく処分の取り消しなので、その性質上、法令の適用によって終局的に解決し得るものというべきである。

議員は憲法上の住民自治の原則を具現化するため、議会が行う各事項等について、議事に参与し、議決に加わるなどして住民の代表としてその意思を当該普通地方公共団体の意思決定に反映させるべく活動を負う責務を負う。

出席停止の懲罰は、上記の責務を負う公選の議員に対し、議会がその権能において科する処分であり、これが科されると、当該議員は議員としての中核的な活動をすることができず、住民の負託を受けた議員としての責務を十分に果たすことができなくなる。

出席停止の懲罰の停止や議員活動に対する制約の程度に照らすとその適否がもっぱら議会の自主的、自律的な解決に委ねられるべきであるということはできない。

5 

出席停止の懲罰は議会の自律的な機能に基づいてされたものとして、議会に一定の裁量が認められるべきであるものの、裁判所は、常にその適否を判断することができる。したがって、普通地方公共団体の議会の議員に対する出席停止の懲罰の適否は司法審査の対象となる。

これと異なる趣旨をいう当裁判所大法廷昭和351019日判決その他の当裁判所の判例はいずれも変更すべきである。

 

感想

1,判例変更の裁判は画期的だった。が、司法は民主主義からかけ離れていて、ようやく普通に近づいてきたのかとも感じる。権力のある男性中心主義で、それ以外は許さないという閉鎖的な意識が部分法理の論理といえる。

処分性と金銭的な不利益、公益性を損なうことが明白でなければ、部分社会の法理によって、一般論の公平性・正義・公正性の判断を司法審議しない。

 

2,岩沼市議会では平成24年から平成28年の9月まで、4年間に8回の懲罰動議が提出され、決議されている。昭和38年から。多数派によるパワハラは、司法の対象にはしない判例の蓄積のため、多数派のパワハラは容認されていた。。

岩沼議会懲罰動議は、出席停止+報酬削減があるため、司法の対象にはなった。

除名・出席停止は、明らかに議決を左右するため、地方議員の使命を否定することになる。そのため、この内容の議決は司法の対象になるという判例変更である。

現状の判例変更では辞職勧告決議、陳謝の要求は、議会による処分性がない。部分法理に収まる。この問題がまだ解決できていない。

 

議会に良識がある場合、議会基本条例制定、議員政治倫理条例制定、住民との意見交換会で、議員個人の発言をある程度守ることができる。議員個人の発言を守ることは、住民一人一人の権利も守ることになる。

 

3,多数派が権力の強さに慣れてくると、見せかけの民主主義を装うために議会基本条例、政治倫理条例を制定して、多数派に都合のよい議会運営を始める。

多数派の権力が強すぎる場合、人への排除、いじめは自覚できなくなる。司法に訴えることで変えることしかできなくなる。その典型例が岩沼市議会の判例変更につながった。

 

この判例変更が、議会多数派の恣意的な判断による人権侵害の正当化の適否が司法につながることを願う。